発足の経緯

発足の経緯

現在の名鉄は、1935年(昭和10年)に、名岐鉄道(名岐)と愛知電気鉄道(愛電)が合併して発足したものである。
合併前の名岐は多額の内部留保を蓄えて名古屋式経営のお手本とも言うべき無借金経営を行っていたが、愛電は多額の負債(当時の金額で226万円)を抱えており、資本金の規模こそほぼ同等(名岐1910万円・愛電1709万円)ではあったが、その財務内容には雲泥の差が付いていた。
それまでの両社は、三重県方面への進出(伊勢電気鉄道の買収工作)や名古屋地下鉄道の運営方法など、当地域の鉄道運営の主導権を廻って対立することも多かったが、折りあたかも1930年代の日本は世界恐慌を境として、大陸(現在の中国など)への進出・利権を廻って欧米列強との対決(戦時)色が強くなり始めた頃であり、民間企業の間では国内(同一民族間)での競争・対立を止めて協調・合同(民族団結)へ向かう機運が次第に高まった時代であった。
合併話が持ち上がった時点では、戦時立法である国家総動員法や陸上交通事業調整法も構想段階であったが、長引く昭和恐慌の影響もあって、愛電の経営が危機に瀕していることから、当地の交通事業を再編(統合)して安定した鉄道輸送を図るべく、名古屋財界の有力者を中心に民間主導の型で検討・折衝が進められることとなった。